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一粒の大腸がん・内視鏡で切除できず腹腔鏡下手術になり、退院まで。

   

00.はじめに

心というものも、身体というものも、個々で違います。だから、以下に記す内容が全ての方に当てはまると思っていません。

年齢…その年齢も紙の上の年齢と、その人のようすによっては異なります…、性別、出来た物の性質、発見した段階、…全部合わせれば、同じものは一つとしてないことと思います。

しかし、これから準備をする人は、いろんな不安もあると思います。

私がこれをブログにするのは…

比較的早く回復して退院できた父でしたが、それでも手術の前はかなり不安で、入院の日に「行くのやめようかな…。」と言い出すくらいの気持だったからです。

その不安は、他の誰でもない本人だけのものなので、結局本人が乗り越えるしかありません。だから、流れを知ったことで気持ちが変わるかどうかはわかりません。

シンプルな軌跡を綴ります。感動の奇跡みたいな話ではありません。

でも、この流れを知ることで一人でも、「元気に帰ってくる人がいる」ことを知っていいイメージを持ちながら手術に臨んでもらえたらと思います。

☆腫瘍発見までの話は、私は本人ではないので、少し間違いがあるかもしれません。

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00.はじめに

01.12月から始まる

02.一つ見つかったポリープ

03.もう一度の内視鏡で…

04.腸も切除

05.腹腔鏡下手術

06.入院日

07.手術の日

08.手術が終わって・説明

09.手術が終わって・本人

10.その後…

11.手術をしたくなくなった気持ち…

12.やっぱり切除しよう!と決めた気持ち

01.12月から始まる

通院している泌尿器科で、血便が出たという相談をした。

大出血ってわけでもないので、軽く相談した。

医師が「内視鏡の検査をしたことがないならば、一度してみてはどうですか。」と、おっしゃられたので、勧めに従い内視鏡の検査をすることになりました。

内視鏡の検査の時にポリープを見つけたら切除しますか?という検査事前書類に○をつけて検査に臨む。

02.一つ見つかったポリープ

内視鏡の検査で、ポリープが見つかったけれど、その医院の設備では切除できないくらい、やや大きかったので、大きな病院で処置してもらってください。

と、言われた。

これがもう年末に近かったので、年明けにしようかなと本人は思っていた。

その時「がんと言われて新年を迎えるのは嫌だから、年明けにしたい」と考えていたから。

でも、「なんだろうな…って心配しながら新年を迎えるのもな…。」と思い直して、大きな病院に相談に。

病院に行ったら、年明け1月初旬に、内視鏡で処置しましょう。と決まる。

03.もう一度の内視鏡で…

腫瘍の切除をしようとしたら、根が深すぎて切除しきれなかった。ということで、腹腔鏡下手術をすることに。

腫瘍の根元に注射をして、腫瘍を浮かせてから切除するというのがセオリーらしいが、根が深すぎて浮いてこないとのこと。

↑浮いてこない時点で、これはもう癌である可能性がとても高い。とのこと。

04.腸も切除

もしも癌ではなかったとしても、腸の腫瘍は癌化する可能性が高いので、これは切除しましょう。

しかも、今度は、腫瘍だけをつまみ切除すればいいという話ではない。

癌の可能性が高いから転移の心配をしなければならなくて、

転移のことを考えて、その部位と関係しているリンパ腺全てを切除。

リンパ腺は、血管に絡みついているので、血管と分けられないから、そのリンパ腺が絡んでいる血管を切除する。

↓ので、

その血管が栄養している腸部分は切除する。

つまり、その腫瘍のある場所前後50mmから70mmずつ腸を切除する。とのこと。

取って切り取って、縫い合わせればいいわけではなく、縫い合わせた場所同士が血流良い状態でつながる必要があるので、切り取る腸の量は、手術をしてみないとわからないとのこと。

05.腹腔鏡下手術

お腹に四か所穴を開けて、更におへその上も50mm程度切る。

お腹に四か所開けるのは、処置する腸が身体にセットされるためにくっついている組織を剥がすため。

おへその上で50mm切開するのは、切り取る腸を出すためと、切り取り位置と切り取り位置を縫い合わせるため。

手術をした後は、つないだ場所が安定してくっつく(出血治まって)まで、管が身体についた状態。

06.入院日

手術の2日前のお昼過ぎに入院。

お昼ご飯までは、普通の食事をして良い。

病院に入ってから、お粥になる。

07.手術の日

自分で歩いて手術室まで行く。

手術室の前まで、家族がついて行っても良くて、手術室の前で見送る。

手術そのものの予定時間は3時間で、麻酔をしてから覚めるまで5時間かかるとのこと。

08.手術が終わって・説明

手術は、4時間かかったとのこと。

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家族が説明する部屋に呼ばれて、先生に手術がどのように進んだかの説明をしてくださいました。

まずは、切除した物を見ても大丈夫か尋ねられて、我々は大丈夫と返事をしたので、広げた腸の前での説明になりました。

  • 腸は腫瘍箇所から70mmずつ切除
  • 出血量は3cc
  • つないだ場所は血流がちゃんと生まれた
  • 腫瘍は深かったので内視鏡で切除できるものではなかった

とのこと。

09.手術が終わって・本人

少ししゃべったけど、とても目が重いとのこと。

お腹がなんか軽くなったとのこと。

10.その後…

手術をした日から…

  • 翌日から歩行
  • 二日目で、尿バッグ・脊髄麻酔容器
  • 三日目で、点滴が一つ減る
  • 四日目で、ドレーンバッグが外れる
  • 五日目で、点滴終了
  • 九日目で、退院。

入院から12日で退院。

でした。

退院しても、二日ばかりは食欲がわかなかったようでした。

が、三日目から少し食事のようすが良くなりました。

摘出したリンパ腺等に転移は見られず、抗がん剤はしない方向に。

↑術前説明時に、たぶん転移はしていない早期がんと言っていいと思えます。もしも、転移ということがあったとしても、年齢的に抗がん剤を使用するかどうかは、慎重に決める。

とのことだったと思います。

11.手術をしたくなくなった気持ち…

父は、既に兄弟全員亡くなっています。

全員手術をした途端に弱って、具合が劇的に悪くなって、亡くなりました。

もちろん、病巣がどこまで変化したかなどそれぞれ条件は異なると思います。

でも、父の目から見ると、むしろ手術で身体が弱ってしまったというイメージが強いようでした。

父たちの父…つまり私の祖父は、病気は特にしないで、92歳まで生きました。最終的に具合が悪くなって、…ちょっと子供だった私には詳細はわからないんですが…亡くなってから身体を開けたのかな?その時、これといった病気はなかったけど、内臓はボロボロだったそうです。

でも、亡くなる前の月まで普通に元気に過ごしていました。

だから、余計に兄弟が病気を発見したばっかりに亡くなったというイメージが強いです。

見つけないで知らずに過ごして、死ぬまで元気で、亡くなった後調べたら、身体のどこかに問題があった…そういうこともあると思うし、そういうこと、実際多いのではないか?と思います。

でも、見つかっちゃうのも何かの縁かなと捉えています。処置できるのもありがたい運命。

ただ、私は自分の身体ではないから、そこに伴う感情は想像することしかできない。

だから、手術のための入院をする時に、父がやっぱり病院に行きたくないって言いだしたことについて、

「行きたくないという気持ち」も一つのカンだと思うので、行きたくなかったら、身体のことだし、無理して行かなくていいよ。切除したくなった時に、もう一度仕切り直していいよ。

と、言いました。

なんというか、私には「家族としての意向」というのは全然なくて、でも、選択したようにいくしかないと思っていて、それは、私の身体ではなく父の身体なので、父に選択してほしいという気持ちだけでした。

診察から手術することに決まって日にちもどんどん決まってという流れの中で、本人に選択権がなかったので、周りが動いているから「したくないのに、するしかなかった」というのだけは、やめてほしいと思いました。

…ただし…オチ?…があって、…。

二度目の内視鏡の処置で、既に取れる部分だけ切除してしまっているから、それを放置することは、その部分の癌化を更に進めてしまうから、処置をし始めたなら、切除するしかない。

ということを後から知りました。

↑この時には、もう父はやっぱり心配な物を抱えながら生きるより、切除すると決めていたんで、よかったです。

12.やっぱり切除しよう!と決めた気持ち

父が憂鬱な気持ちから、切除すると決めるという気持ちになったのは、お医者さんと看護師さんの言葉かけのお陰です。

お医者さんと看護師さんが、手術した方がいいとかそういうことをおっしゃったのではありません。

不安である父のことを知って、

  • どのように不安になっているかということ
  • ようすはどうですかということ

を、尋ねにいらしてくれたからなようでした。

最初に、私たち家族がいる時に、
手術をしたくなくなったという気持ちを知った看護師さんが、自分たちを信頼できていないのかということを尋ねられました。

病院に不安があるとかそういうことではなく、お医者さんにもよく説明していただいたし、看護師さんが気にかけてくださっているのもわかっていて、そういう不安ではありません。

ということは説明しました。

我々が帰宅した後も、気にかけてくださっていたようでした。

それが、伝わって、父の気持の不安も和らいだようでした。

技術的に優れていることと同じくらい、気持ちを穏やかに導いてくれるのも、病院のありがたい部分でした。

あとは、少しずつ食べたり歩いたりして、元気になっていくだけです。

 

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